今日は昔から気になっていたことを書いてみます!!
気になること。
それは、ベジタリアン(菜食主義者)が「動物を食べるのは可哀想だから、植物を食べた方がいい」というのを聞くと、なぜかモヤっとしてしまうってこと。
まぁ、私が焼肉大好きだからってのもあると思いますが(^_^;)笑
でもたぶん、私がモヤっとする理由はそれだけじゃない。
そこで今日はなぜ、何にモヤっとするのか、ゆっくり整理しながら考えてみます(^-^)v
命ってなに?
ベジタリアンは言う。
「むやみに動物の命を奪うな」と。
ここに、二つの疑問が浮かぶ。
① 私たちが自分たちの命をつなぐために動物の命を奪うことは、「むやみ」なことなのだろうか。
② そして、そもそも命ってなんだろう。
この問いに答えを出すために、ひとつずつ整理して考えたいと思いますp(^_^)q
命の重さにランクづけをしている私たち
私には、彼らの主張からはこう言っているように感じられる。
動物の命は、植物の命よりも重い。
植物の命は、動物の命よりも軽い。
だけど、それって本当?
その根拠は?
そこで一度、一般的に考えられている「生物の命の重さ」のランクを整理してみました。
植物・細菌・ウィルス・微生物<虫<小動物<大型動物<類人猿<人間
・・・改めて整理してみて思うんだけど・・・
これってさ、人間が自分たちの都合のいいように、めちゃくちゃ自分勝手に作った価値観じゃない?笑
人間の命は、他の動物の命よりも重いのか
私たちは牛や豚の肉は食べても、人間の肉は食べない。
ニホンザルを殺しても捕まらないけれど(有害鳥獣駆除の許可が必要)、人間を殺したら「殺人罪」で警察に逮捕される。
でもこれって、本質的に「人間の命」が「他の動物の命」より重いという根拠にはならないよね。
ただ単に「自分が他人に殺されたくない」から「人を殺してはいけない」ということにしているだけ。
法律という大きな力によって「私もあなたを殺さないから、あなたも私のことを殺さないでね」って約束しているにすぎないよね。
大きい動物(ほ乳類)の命は、虫の命よりも重いのか
ここで思い出したのが、以前ワナで捕まえた「アライグマ」を殺して、解体して、食べたことをブログに書いた時、いろんな批判コメントがついたこと。
批判コメントの一部を紹介すると、
・こんなに可愛いアライグマを殺すなんて、かわいそう
・アライグマの痛みを思い知れ
・そんな残酷なことがよくできるな
・お前みたいな女は虫やヘビでも食ってろ
なんていう言い分が多かった。
だけどさ、
・自分が可愛いと思うかどうかで、相手の命の重さにランクづけするって、おかしくない?
・痛くない方法で殺したら、命を奪ってもいいの?
・私たちがスーパーで買ってるお肉は、お金の力を使って、他人に「残酷なこと」をさせてるだけだよね?
・虫やヘビの命は、アライグマの命よりも、軽いの?
反論ならいくらでもできるんだけど、実際のところ「小さい動物よりも、大きい動物のほうが命が重い」っていう感覚は、私の中にもある(⌒-⌒; )
実際に虫を食べる時の方が、アライグマを殺して食べる時よりも「罪悪感」はずっと少ない。
だけど、それも本質的に「アライグマの命」が「虫の命」よりも重いっていう根拠にはならないよね。
ただ単に、大きい動物の方が人間である自分にとって共感しやすい、痛みを想像しやすいから胸が痛むってだけ。
同様に、欧米が日本の「捕鯨(ほげい:クジラをとって食べること)」をかわいそうだと批判するのも、とっても自分勝手な言い分だと私は思う。
まぁ私が鯨のベーコンが大好きだってのもあるんだけど(⌒-⌒; )笑
動物の命は、植物の命よりも重いのか
もしかしたらベジタリアンは「動物を殺す時に痛みを感じるから可哀想だ」と言うかもしれない。
それなら、痛みを感じないように命を奪ったら、動物を殺してもいいってこと?
痛みを感じさせないように殺せば、人を殺してもいいってこと?
それは極論だって言われるかもしれないけど、私も極論だって分かって書いているよ。
自分の中で「あいまい」にして見ないようにしてきたことを、きちんと突き詰めて考えてみたいから。
そして、植物は「痛み」を感じないから殺してもいいと言うなら、それも人間に都合のいい価値観だと思う。
動物のような「痛み」は感じないかもしれない。
でも彼らは彼らなりに、必死で命をつなごうとしてきた。
太古の昔から気候や地理に合わせて順応することで、必死で命をつないできた。
そんな彼らの脈々と流れる「命のつらなり」を断ち切ることは「痛みを感じないから」というただ一点の理由だけで、許されるの?
その他、今回調べてみて知ったこと
私たちは食べるためだけじゃなく、いろんな形で動物の命を犠牲にしているらしい。
まず、「薬」(や「化粧品」)。
私たちが怪我や病気になった時に使っている薬は、人間に使われるようになるまでに何回もの「動物実験」を繰り返されているんだって。
そのおかげで、私たちは安心して薬を使うことができるし、病気になっても健康を取り戻すことができている。
また、私たちが食べている「野菜」だって、栽培する過程で、たくさんの虫を殺している。
もっともっとミクロな視点に立てば、私たちが「呼吸」をするだけで、そして「生きている」だけで、私たちの体内では「免疫系」が働いて、いろんな細菌やウイルスと戦っているよね!!
私なりの結論
一言でまとめると、私は「ベジタリアン」に「偽善」を感じてモヤモヤしてたんだと思う。
「動物の命を奪っていないから良いことをしている。自分は他者に迷惑をかけずに生きている。」
そんな考え方ほど偽善的で、そして迷惑なものはない。
私たちは、自分勝手に全ての命にランクづけして生きているし、生きているだけで他者に迷惑をかけているし、人様の大切な命を奪うことで自分の命を保っている。
これが、事実だと思う。
そして、この事実から目を背けずに、自覚して受け止めて初めて、
他人に迷惑をかけられても優しくなれたり、自分が生きていられることに「感謝」できたりするんじゃないかな。
この間の記事でも書いたけれど、ベジタリアンでない場合、私たちは一生の間に「7000匹の動物」を食べている。
その他、薬や化粧品の開発過程で犠牲になった命や、殺虫剤や蚊取り線香で殺した虫の命、歩いていて踏み殺したアリの命や、自分が知らない間に体内で殺したウイルスや細菌の命を数えたら、
もう目が回るくらい膨大な数の命を奪って私たちは生きているのだろう。
だけど、そこに罪悪感を感じるのではなくて、「感謝」の気持ちを持って生きられたらなって思う。
膨大な数の命に支えられている、このちっぽけな、私の命。
ちっぽけだけど、大切に、大切に、一生懸命、生きたいなって、思いますp(^_^)q
おまけ
最初に出した二つの問いに対する私の答え。
① 私たちが自分たちの命をつなぐために動物の命を奪うことは、「むやみ」なことなのだろうか。
② そして、そもそも命ってなんだろう。
①は、すべての命に感謝をもって生きれば、「むやみ」なことだとは思わない。
②に関しては・・・
今の私には、答えが出せなかったです(⌒-⌒; )笑
命って、なんだろうね。
とっても温かくて、とてもとても、ありがたいものってことは分かるんだけどp(^_^)q
もうしばらく、考えてみようと思います(^-^)v
おわり!!
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